育ちが良くても、その後の身の上が不幸であれるほど、そのギャップが大きいほど、同情してしまいます。
大富豪の娘さんだったのに、親は有名人だったのに、優秀な学校を卒業したのに、という育ちもあるでしょうが、身の上における転落もまた様々です。
そんなことを「運命」などと考えがちですが、どんな境遇になったとしても、たとえ貧しくても、正しく生きていくことはできるはずです。それこそ自身の選択に任されているのです。
藁人形
人気のある花魁が、一人の老いた願人坊主:願かけ修行の僧をひいきにしていた。その理由が「亡くなった父っつぁん」に似ていたから。
あるとき身請けの話で、絵草紙屋を買ってそこに住むから、あなたを引き取りたい、と坊主に持ちかけた。
ところがある日、突然、居抜きの絵草紙屋の後金の催促に困り果てた花魁が愚痴をこぼすと、願人坊主が「ご用立ていたしましょう」と言い出す。
実は花魁の元の身分を知っている坊主は密かに好意を寄せていて、こちらも他人とは思ってなかった。
金を持ってきた坊主を見て「ほんとうに父っつぁんのようですねぇ。私も他人とは思いませんよ」と喜び、酒を勧め、一晩泊めた。
数日後、坊主が訪ね、「絵草紙屋のことどうなった」と聞くと、何のことだか分からない、お金を借りるわけはない、あの金は一晩泊まった勘定だ、と言い張る。
だまされた、と思ったときは遅かった。若い衆に追い出され、突き飛ばされた拍子に額にまで怪我を負う始末だ。
坊主は長屋に帰ると雨戸を閉め切って引き込んだ。
そこに甥御が訪ねてきた。兇状持ちで牢にいたのが御赦、つまり釈放になって来たのだ。
坊主は祝いにそばでも買ってくるが、その鍋のふたを取るな、といって家を出た。
見るなと言われれば見たくなるのが人情。ふたを取ると煮えた油の中に藁人形が一つ。
坊主が帰ってくると「あっ、おめえ、鍋を見たな。それじゃあ、俺の祈りは通じなくなった」と嘆く。
藁人形なら五寸釘のはずだが、どういうわけなんだ、と聞くと、「やつは糠:ぬか屋の娘だ」。
花魁と差し向かいで一つ屋根の下で暮らす、という期待はまさに糠喜びであった。
それにしてもいい女に「亡くなった父親にそっくりで他人とは思えない」とまで芝居をされたんじゃ、詐欺も名人芸である。坊主だって、教師だって、どんな男だってだまされてしまう。
人は育ちよりも環境でそれ相応の人格が定まるとよく聞くが、そんな説を裏付けるような話だ。
しかし、どんな境遇になったとしても、正しく生きるのは、自分自身の選択に任されている事だけは代わりがない。「あいつのせい」で、穴一つ。
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