2009年11月5日木曜日

いつの世も女が上手

 人は一人では生きていけません。
 与えられた仕事をしたり、誰かに頼ったりして生きていきます。
 仕事があってもそれが永遠と続くものではなく、ときが経てば自分の評価が下がったり、それとは別に仕事自体が暇になると、首になったりしてしまいます。
 世の中は世知辛い。金がなければ生きていけないし、それを稼ぐのは年を取るほど大変になってくる。だからこそ誰かを頼りにしてしまう。

お直し
 吉原の花魁も、とうがたってくると売れなくなります。それを伎夫、呼び込みが同情していろいろ世話を焼いたのがきっけで忍んで付き合い出す。
 しかし店の主に見つかり小言を食らうが、情けで夫婦になることを認めて貰い、花魁からおばさん、遣手婆のようなものになって二人で働いていた。
 店の脇へ小さな家も借りられるぼになると、その内、亭主が遊びを覚え、酒やバクチに手を出す。そうなると店を休むようになり、終いには家の物は全部質屋に行ってスッカラカン。
 これじゃだめだ、ってんで、また女房を遊女にして商売をしようと考えた。始めはごねた女房も仕方なく承知する。
 夫が若い衆で客を呼び込んで、女房が酒を飲ませての手練手管で口説き落とす。いい頃合いに、「おなおしだよ」の声をかけて、客が承知すれば料金が追加される。それがあまりに上手いこと行き過ぎて、客が帰ると亭主が焼き餅を焼き出す。
 しかしそこも女房が上手くやって仲直りになると、さっきの酔っぱらった客が、「おう、なおしてもらいたいよ」。

 男は誰でも女に手玉に取られているものなんでしょう。女性がいなければ男が男でいられない。そんな意味で男たちは仇同士、なんて言うのはあまりにも生物学的な言いようです。
 同情し、見栄を張って、意地を張り、それでも最後はほだされる。女なしには生きてはいけぬ、「主なしにも生きられぬ」を信じてしまうは男心。

 手玉に取るのはたやすいか、それとも真に幸せか?

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